


売り切りから継続課金へ。多くの企業がこの転換を検討していますが、実際に成功した事例を見ると、やっていることは同じではありません。定額のサブスクリプションに全面移行した企業もあれば、そもそもサブスクリプションを使わずに継続収益を成立させている企業もあります。
そもそもリカーリングとサブスクリプションは同じものではありません。ここを混同したまま「うちもサブスクを始めよう」と進めると、自社に合わない型を選ぶことになります。
この記事では、米国証券取引委員会(SEC)への提出書類で事実を確認できる2社を取り上げます。買い切りからサブスクリプションへ移行したAdobeと、サブスクリプションによらず消耗品で継続収益を築いてきたHPです。両社の構造を比べることで、リカーリングモデルの選択肢と、移行を設計するときの要点が見えてきます。
事例に入る前に、言葉を整理します。ここが曖昧なままだと、事例の読み取りを誤ります。
以下で見るAdobeは1つ目、HPは2つ目に該当します。どちらも成功事例ですが、選んだ型は異なります。成果に応じて課金する新しい型については、アウトカム課金の記事もあわせてご覧ください。
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ソフトウェア業界で最もよく参照される転換事例です。重要なのは結果よりも移行の進め方にあります。
Adobeは2012年5月にCreative Cloudの提供を開始しました。同社の提出書類では、これはクリエイティブ製品を買い切りライセンスで提供してきた従来モデルに取って代わるものと位置づけられています。同月には買い切り版のCreative Suite 6(CS6)もリリースされています。
翌2013年5月、同社は新しい機能や改良は今後Creative Cloudの加入者にのみ提供すること、CS6が買い切りライセンス利用者に向けた最後の大型アップデートになることを発表しました。
ここが決定的な一手です。「買い切り版はもう進化しません」と明言したことで、顧客にとって移行しない選択の合理性がなくなりました。
2014年度の上半期には、従来の流通チャネルとボリュームライセンス経路から、CS6の買い切り提供を終了しました。
同社の開示によれば、2014年度第4四半期には、クリエイティブ製品の買い切りライセンスによる収益は「重要でない(immaterial)」水準にまで縮小しました。移行の開始から、およそ2年半での置き換えです。
その後、継続収益の規模を示す指標であるデジタルメディア部門のARR(年間経常収益)は、2017年度末の53.9億ドルから2018年度末には68.3億ドルへと拡大しています。
新旧を併売し続けると、顧客は移行しません。Adobeは「買い切り版は更新しない」と先に宣言し、その後に流通を止めるという順序を取りました。宣言が先、実行が後です。この順序があるからこそ、顧客に準備期間を与えつつ、移行を確実に進められます。
見落とされがちですが、Adobe Acrobat DCについては、サブスクリプションと買い切りライセンスの両方を提供し続けています。製品の性格や顧客層によっては、買い切りを残すという判断があり得るということです。
全社一律で移行する必要はありません。製品ごとに顧客の使い方が違えば、最適な課金方式も違います。価格設計の考え方については、BizDev視点のプライシング戦略の記事が参考になります。
サブスクリプションを使わずに継続収益を成立させてきた構造です。
HP Inc.は事業をパーソナルシステムズ、プリンティング、コーポレートインベストメンツの3セグメントで開示しています。このうちプリンティングは、プリンター本体、消耗品、メディア、ソリューションとサービス、スキャン機器を含みます。
同社の開示で注目すべきは、消耗品収益の成長要因の説明です。消耗品の収益成長は、プリンター本体の設置台数(インストールベース)の拡大を反映したものであり、残りの成長は主に平均販売単価の上昇によるものと説明されています。
つまり、本体をどれだけ設置できたかが、その後の継続収益の上限を決めるという構造です。契約を結ぶわけではないのに、収益は繰り返し発生します。
2026年度第1四半期のプリンティング事業の売上は42億ドルで、前年同期比2%減、営業利益率は18.3%でした。市場環境の変化を受けつつも、一定の利益率を保っていることがわかります。
同社は2026年度第1四半期の開始時点で報告区分を見直し、Print-as-a-Service(サービスとしての印刷)事業を、コーポレートインベストメンツからプリンティングへ移管しています。
消耗品型のリカーリングを持つ企業が、そこにサブスクリプション型を重ねていく動きと読めます。既存のリカーリング構造を捨てるのではなく、上に積む形です。
「継続課金=サブスク契約」ではありません。使えば必ず消費されるものを押さえていれば、契約なしでも収益は繰り返し発生します。製造業やハードウェアを扱う事業では、こちらのほうが現実的な選択肢になります。
消耗品型では、本体の設置台数が将来収益の先行指標になります。本体を利益度外視でも広げるという判断が成り立つのは、この構造があるためです。乗り換えを防ぐ設計については、スイッチングコストの記事もあわせてご覧ください。
以下は開示情報をもとにした本記事の解釈です。
Adobeにとっては新機能の提供、HPにとっては消耗品です。顧客が使い続ける限り必要になるものは何か——ここが特定できていなければ、リカーリング化はできません。売り方を変えるだけでは成立しないということです。
Adobeは宣言してから流通を止めるという順序を取り、およそ2年半で置き換えを完了しました。期限のない移行は、併売が続くだけで終わります。
買い切りからサブスクリプションへ移ると、一括で入っていた収益が期間按分になるため、移行期には売上が落ち込みます。この谷を越えられるかどうかが、実務上の最大の関門です。手元資金の効率については、CCC(運転資本回転期間)の記事が参考になります。
顧客の反発を恐れて買い切り版を残し続けると、移行は進みません。ただしAdobeがAcrobatで買い切りを残したように、製品ごとの判断はあり得ます。「全部残す」と「製品を選んで残す」は別物です。
リカーリングは、獲得したあとに使われ続けて初めて成立します。売って終わりの組織のままでは、解約が積み上がって純増が止まります。継続利用の設計については、スティッキネスの記事で詳しく扱っています。
ソフトウェアの成功事例を見て定額サブスクリプションを選んだものの、実際には利用量の差が大きく、顧客の納得感を得られないケースがあります。定額・消耗品・従量のどれが自社の価値提供の形に合うかから考える必要があります。
リカーリングモデルの成功事例として取り上げたのは、AdobeとHPの2社です。Adobeは2012年のCreative Cloud提供開始から、買い切り版の更新終了を宣言し、流通からの引き上げを経て、2014年度第4四半期には買い切り収益を重要でない水準にまで縮小させました。HPは契約によらず、プリンター本体の設置台数が消耗品収益を規定するという構造で継続収益を築き、そこにPrint-as-a-Serviceを重ねようとしています。
2社の型は正反対ですが、共通しているのは「顧客が使い続ける限り繰り返し必要になるもの」を押さえている点です。売り方を月額に変えることがリカーリング化ではありません。
自社で検討するなら、まず繰り返し消費されるものが何かを特定し、そのうえで定額・消耗品・従量のどれが合うかを選び、移行の期限とキャッシュの谷を設計する——この順序になります。事業モデルそのものの転換については、ポストSaaS時代の戦略を扱った記事もあわせてご覧ください。
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