


新規事業の立ち上げに注目が集まる一方で、「いつ撤退するか」という意思決定は十分に語られていません。しかし、事業撤退の判断を先送りすれば、組織のリソースを浪費し続けるだけでなく、次の挑戦に向かう機会まで失うことになります。撤退とは消極的な選択ではなく、経営資源を最適に配分するための戦略的な判断です。本記事では、事業撤退の意思決定が難しい構造的な理由を明らかにし、やめ時を見極めるための具体的なフレームワークと判断基準をお伝えします。
事業撤退の判断が適切なタイミングで行われないケースは非常に多く、その背景には構造的な要因が存在します。
1つ目は「サンクコストバイアス」です。すでに投じた開発費用や人員のコストが大きいほど、「ここまでやったのだから」という心理が撤退の判断を鈍らせます。本来、過去の投資額は将来の意思決定に影響を与えるべきではありませんが、実際の現場では感情的なバイアスが合理的な判断を妨げます。
2つ目は「評価制度との不整合」です。多くの企業では、新規事業の担当者は「事業を成功させること」で評価されます。撤退を選んだ場合にキャリア上のマイナスとなる評価体系では、担当者が自ら撤退を提言するインセンティブが生まれません。結果として、見込みの薄い事業が現場の判断で延命され続けるという事態に陥ります。
3つ目は「意思決定権限の曖昧さ」です。新規事業の撤退は、現場のプロジェクトリーダーが決められるのか、事業部長の判断が必要か、あるいは経営会議の承認事項か。この意思決定プロセスが明文化されていないと、誰も責任を取れないまま事業が惰性で継続してしまいます。
これらの要因は個人の意志の弱さではなく、組織構造そのものに根ざした問題です。だからこそ、個人の判断に頼るのではなく、撤退判断の仕組みを事前に設計しておくことが重要です。
事業撤退の意思決定を適切に行うための最も効果的な方法は、事業を開始する段階であらかじめ撤退基準を設定しておくことです。
事業が進行してから撤退基準を議論すると、すでに関係者の感情やしがらみが生まれており、客観的な判断が難しくなります。一方、事業開始前であれば、冷静かつ合理的に「どのような状態になったら撤退する」という条件を設計できます。この考え方は投資の世界における「損切りライン」と同じ発想です。あらかじめ撤退ラインを決めておくことで、判断のタイミングを逃さずに済みます。
具体的には、事業計画の承認時に「撤退条件シート」を併せて作成することをおすすめします。記載すべき項目は、達成すべきマイルストーンと期限、許容できる累積損失額、最低限確保すべき顧客数や売上水準などです。これらの指標を数値で明確に定義しておくことで、撤退の議論が感情論ではなくデータに基づいたものになります。
撤退基準は制約ではなく、チームが安心して挑戦するためのセーフティネットです。基準があるからこそ、失敗を恐れずに大胆な仮説検証に踏み出せます。
事業撤退の判断を体系的に行うためのフレームワークを2つご紹介します。
1つ目は「Kill Criteria(撤退基準)方式」です。事業開始時に設定した定量指標を四半期ごとにレビューし、基準を下回った場合は自動的に撤退検討フェーズに入るという仕組みです。感情的な議論を排除し、あらかじめ合意したルールに基づいて判断できる点がメリットです。指標の例としては、ユーザー獲得コスト(CAC)の上限、月次の売上成長率、リテンション率の下限値などが挙げられます。判定は複数の指標を組み合わせて総合的に行い、単一指標の一時的な悪化で即座に撤退とならないよう設計することが大切です。
2つ目は「リアルオプション・アプローチ」です。事業を段階的に投資するフェーズゲート方式として設計し、各フェーズの終了時点で「追加投資する」「縮小する」「撤退する」の3択を判断します。すべてのリソースを一度に投入するのではなく、検証結果に応じて段階的に判断することで、損失を最小限に抑えながら機会を探索できます。特に不確実性の高い領域では、小さく賭けて学びを得るこのアプローチが有効です。
どちらのフレームワークも、定期的なレビューの仕組みとセットで運用することが成功の条件です。
事業撤退の意思決定を健全に機能させるには、撤退を失敗と見なさない組織文化の醸成が欠かせません。
多くの組織では、事業を閉じることにネガティブなイメージが付きまといます。しかし、限られたリソースを成長の見込みがない事業に投じ続けることこそが、組織にとって最大の損失です。撤退は「正しい判断を下せた」というポジティブな意思決定として評価されるべきです。
そのためには、評価制度の見直しが必要です。新規事業の担当者を「事業の成否」だけで評価するのではなく、「仮説検証のプロセスを適切に回せたか」「撤退判断を合理的かつ迅速に行えたか」といったプロセス面も評価項目に加えます。これにより、担当者は撤退を恐れず、客観的なデータに基づいた判断を下しやすくなります。
さらに、撤退した事業から得られた知見を組織全体で共有する「撤退レビュー」の仕組みを設けることも有効です。市場に関する学び、技術的な知見、顧客インサイトなど、撤退した事業にも組織の資産となる情報が蓄積されています。これらを体系的にドキュメント化し、次の事業に活かす仕組みがあれば、撤退は組織の貴重な学習機会へと転換されます。
事業撤退の意思決定において見落とされがちなのが、撤退後の人材とリソースの再配分です。ここを丁寧に設計することで、撤退のダメージを最小化し、次の成長への布石を打てます。
まず、撤退する事業に携わっていたメンバーのキャリアパスを明確に提示することが重要です。撤退によってチームが解散する場合、メンバーが社内で不遇な扱いを受けるという前例ができると、今後誰も新規事業に手を挙げなくなります。撤退プロジェクトの経験者を「新規事業の立ち上げと検証を一通り経験した人材」として積極的に評価し、次の重要プロジェクトに優先的にアサインする方針を示しましょう。
次に、撤退事業で構築した技術資産や顧客基盤の棚卸しを行います。たとえば、撤退した事業で開発したAPIやデータ基盤が他の事業で活用できるケースや、獲得した顧客リストが別の事業の見込み客になるケースは少なくありません。こうした資産を可視化し、社内で再利用可能な状態に整理しておくことが、投資を無駄にしないための具体策です。
撤退は終わりではなく、次の挑戦のための再編です。人材とリソースの受け皿を事前に準備しておくことが、組織として継続的に新規事業に取り組む体制を支えます。撤退プロセスの設計まで含めて、はじめて新規事業の戦略は完成するといえるでしょう。
本記事では、事業撤退の意思決定が先送りされる構造的な要因を整理し、撤退基準を事業開始時に設定する重要性を解説しました。Kill Criteria方式やリアルオプション・アプローチといった実践フレームワーク、撤退を失敗と見なさない評価設計、そして撤退後の人材・リソース再配分まで、一連のプロセスを体系的にお伝えしました。事業撤退は消極的な選択ではなく、経営資源を最適に配分するための戦略です。撤退を戦略的に行える組織こそが、持続的に新たな事業を生み出し続けられます。
副業をお考えのみなさんへ
ご覧いただいている『月刊タレンタル』を運営するtalental(タレンタル)株式会社では、BizDev領域の即戦力人材レンタルサービス「talental」を提供しています。
現在、副業・フリーランス人材のみなさんのご登録(タレント登録)を受け付けています。タレント登録(無料)はこちらから。
これまで培ったスキルやノウハウを活かして、さまざまな企業のプロジェクトに参画してみませんか?